歌手 増原英也に聞く。
「ゲーテ先生の音楽会とは?」

カフエ マメヒコ宇田川町店で2014年から始まった「ゲーテ先生の音楽会」は、主演のゲーテ先生を演じる増原英也さんの思いがそのまま形になった舞台です。小さいときから歌の大好きだった少年は、おとなになってオペラ歌手となりました。夢を叶えつつも、まだもっとと迷い続けている心境が、マメヒコの井川さんと出会ったことでできたのが「ゲーテ先生の音楽会」なのです。

新作の公演を目前に控え、改めて「ゲーテ先生の音楽会」とは歌手増原英也にとって、なんなのかをうかがいました。

「歌がですね、日常生活に溶け込んでいるんですよ」

なんでマメヒコで「ゲーテ先生の音楽会」を始めたのか?んー、思い返すと、かれこれ6年ほど前になるんですね。

僕は2010年秋にイタリアのパルマへ音楽留学したんですよ。4年間、向こうで暮らしました。留学先のパルマで、偶然ですけど、マメヒコのお客さんと知り合ったんです。よくマメヒコに通われてる女性でね。その方と日本とイタリアの歌の違いについて話をしました。

イタリアでは、歌がですね、日常生活に溶け込んでる。居酒屋に入れば、ワインを飲みつつ、みんなで大声でカンツォーネを歌ったりします。

日本で歌っていうと、カラオケでしょ。カラオケもいいですけど。生の音で生活とともに歌う。日本人ももう少し、そうすればいいのに。なんとなく、そんな話になったんですね。僕らはプロの歌手ですけど、それを黙って聞いていただいて、最後に拍手をいただく。そういうんじゃなくて、お客さんと一体となって歌う、そんなコンサートができたらいいのにねと、盛り上がったんです。

2014年12月、マメヒコの宇田川町店にて、「ゲーテ先生の音楽会 J.S Bach_Christmas」は始まった。舞台はゲーテ診療所。都会の雑居ビルにひっそりとある小さな診療所に見立てて、小さなテーブルとイス一つの舞台だけで上演。(ゲーテ先生 増原英也/看護師フサコ 山本芙沙子/患者役 井川啓央/作・演出 井川啓央)

そうしたら、その知り合った女性が、東京にマメヒコというカフェがあって、何やら面白いオーナーがやってると(笑)。あそこなら、好きにやらせてくれるかもしれないから聞いてみる、と言ってくれたんですね。

それで井川さんに話が伝わって、トントン拍子にマメヒコでコンサートをやることになりました。一時帰国のタイミングで、パルマの留学生4名と。イタリアの居酒屋みたいに、気軽にみんなで歌う会をやりました。渋谷のマメヒコに電子ピアノを持ち込んで、井川さんはパルミジャーノとホエー豚の生ハムを用意してたかな。そのコンサートがすごく盛り上がったんです。あぁ、楽しかったね、じゃあまた、とそんな感じでした。

それからしばらくして、日本に帰国しました。家もあらたに、横浜に借りて。よしやるぞ、と意気込んでました。そう簡単にはいかなかったんですが。帰国してから、ちょくちょく、カフェとしてマメヒコを使わせてもらってたんです。ところがある日ばったり、井川さんと公園通り店でお会いしたんですね。

「あっ、ご無沙汰してます。増原です。僕のこと憶えてますか?」とご挨拶をしました。井川さんは憶えてくれていて、「あれ?何してるの?イタリアに居るんじゃないの?」と。

咄嗟に、「今僕は劇団に入ってまして、芝居をやってます」と答えたんです。ちょうどその頃、色々な縁で、クラシックをモチーフに芝居をする小劇団に入ってたんですよ。

増原英也/琉球大学法文学部卒業。東京芸術大学音楽学部卒業。同大学院修士課程を修了。パルマ国立アッリゴ・ボーイト音楽院を首席で卒業。2010年よりイタリア留学。パルマ王立劇場のシーズン公演《結婚手形》にズルック役にて出演。2014年帰国。帰国後、サントリーホールオペラアカデミー公演《愛の妙薬》、日生劇場《セヴィリャの理髪師》などに主要な役で出演する一方、オペラ以外でも東宝《レ・ミゼラブル》司教役や、映画《ゲーテ診療所》に主演するなど、幅広い分野で精力的に活動している。

それで井川さんを劇団の公演にご招待しました。シューベルトを題材にした芝居だったかな。僕は「魔王」を歌いました。後日、その感想を聞こうと、中目黒のタイ料理屋でお会いしました。

そしたら井川さんはいつもの調子で、「クラシック音楽、芝居と、それぞれ分断されたものじゃなく、融合させた新しいものを創ろうとしてる姿勢は共感する。けどやり方がダメだ。僕だったらあぁしない、こうする」と、芝居のダメ出しと代わるアイディアをいっぱい喋りだしたんですよ。

僕も、日本でヨーロッパのオペラに親しみを感じてもらうのはどうしたらいいかと思案してましたから。敷居を下げるとしても、どう表現したらいいのか迷ってました。それで「だったら井川さん、そういうの創ってください」と僕もお願いしたんです。それでタイ料理屋で、「ゲーテ先生の音楽会」の元になる企画会議みたいな感じになりました。

「カフェが教会の代わりになりませんか」

ヨーロッパでは居酒屋もありますけど、教会が身近にあることが音楽において大きいと感じてました。ヨーロッパには教会がない街はありません。教会にみんなが集まって讃美歌を歌うんですよ。それが何百年と続いてる。表向きには宗教儀式として歌われてるわけですが、歌うことって結局、健康に良いから続いてるんだと僕は思うんです。

日本には教会はないけど、カフェはいっぱいある(笑)。それでカフェが教会の代わりをすべきじゃないかという話をしました。カフェでみんな集まって歌う。そうすれば日本人はもっと健康になるのではないか。ストレスを抱え、病気になってる日本人は多いですから。医者に診てもらったところで、なかなか治らない。病気を治す場所というよりも、病気にならない、予防のためにカフェに通う。そうなったらいいですね、という話をしました。

作.演出.出演 井川啓央/1973年生まれ。渋谷と三軒茶屋のカフエ マメヒコのオーナー。メニュー、レシピ、内装、デザイン、店内の音楽、ほか、映画監督、演劇の作・演出を担当。WEBラジオを11年担当し人気を博しているほか、2019年は小説「エトワール・ヨシノ」に向けて執筆。ゲーテ先生の音楽会で登場したシャンソン歌手、エトワール★ヨシノを演じる。http://www.ikawayoshihiro.com

それでもうすぐに、「年末のクリスマスになんかやりたい。早速、台本を書いたんだけど」と井川さんは言い出しまして、脚本の打ち合わせになりました。頂いた台本に、「ゲーテ先生の音楽会」と書いてあった。「ゲーテ先生?あぁ医者ですか、予防医学という話があったからね、そうきましたか、なるほどなるほど。」そんなやりとりでした。

ただ台本読んでもよくわからないんですよ。新しいものを創ろうとしてるのはわかるんですが、井川さんがやろうとしてることが、よくわからない。演じようとすると、そもそも「ゲーテ先生」って誰ですか?っていう。歳は?家族は?名前は?みたいな(笑)。
お芝居でもないし、コンサートでもない。オペラでもない。コントに近い、不思議なものでした。そもそも、マメヒコの宇田川町店にある、ヒト3人が乗ればいっぱい、そんな小上がりでやる演劇なんですからね。井川さんはその前にここでいくつかお芝居を上演されてて、やりようによってはいけると感じてたらしいですが、僕は見てませんから。よくわかりませんでした。

「生すぎるくらい生」

いざ稽古してみると、どこまでが台本で、どこまでがアドリブなのかわからないんですよ。台本は決まっているようで決まってないですから。とにかく適当にやってよ、という演出スタイルです。途中から戻ってこれず脱線しても、面白ければそれで良しという。最初の頃の台本は綺麗な表紙が付いていて、「完成稿」と書いてありました。でも「完成稿」から、どんどん変わるんです。ちっとも完成してないんですよ。

今でもこのスタイルは変わらないですが、今より、もっと酷かった(笑)。慣れましたが。当時は「ここまで台本が変わるのか」という不安ばかりでした。一番驚いたのは、台本に「何か言う」とだけ書いてある箇所がいくつもあるんです。何か言えばいんですよ。看護師役のフサコさんだけは、きっちり台詞が書いてある。それで井川さんは初演のとき、ヨシヤ、ヨシコ、ヨシオと三役演じたんですが、ト書きに説明が書いてあって、あとは「なんか言う」しか書いてない。なんとなく鍵カッコの幅で、台詞の時間が決まっている。不思議な台本でした。

この台本は憶えてもあまり意味ないな、と。すごく新鮮で、不安でした。それまで僕は、きちんと作り上げたもの、自信を持ってお客様にお出しできるものをやるべきだ、とそう思っていましたから。しかし回を重ねるごとに、お客さんは何が起こるかわからないから楽しみに来る。そのことに、すごく手応えを感じ始めました。稽古してない、意外なところで、すごく盛り上がるんですよ。

あの宇田川町の狭いステージで演じると、とにかくお客さんの反応が直に伝わってくるんです。良くも悪くも、芝居のすべてをお客さんの反応が支配してしまう。普段は大きな舞台ばかりに出てますから、初演後の印象は、生すぎるくらい生、でした。とにかくお客さんも、何を見せられるのかわかってませんからね。変な緊張感があります。その空気のなかで、歌ったり芝居をしたり、コントのようなことをしたり。

「ゲーテ」ほど怖い舞台はありませんよ。裸のまま出ていくんですから。オペラは入念な稽古と技術を持ってる人たちだけで創ります。そして、楽譜にあることは、何ひとつ変えてはいけないんですよ。それと真反対ですね。稽古もしない、技術もない。ただ度胸だけでやるという。こういう芝居を繰り返していく中で、即興性だったり、お客さんの反応を見たりすることが、とても大切だと教えられました。

マメヒコ宇田川町店の舞台。通常のカフェの営業の合間に、「ゲーテ先生の音楽会」は行われた。わずか3人しか上がれない舞台、客席を巻き込んでのドタバタ劇が繰り広げられた。

「父から学んだ無茶振り」

父が小さな劇団を主宰してました。父から教わったことは、何か振られたらすぐ反応する、ということです(笑)。相当鍛えられましたよ。例えば街を歩いていると「いつもより頭を低くして歩こう」と、突然、父が言い出すんですね。「なんで?」と僕が聞いても、「英也、理由なんかないんだ」と。

それで周囲からジロジロ見られながら、父と僕で頭を低くして歩くんです。頭を低くして歩いてみると、足がすごく疲れるとわかります。体で覚えるんですね。ゲームや玩具を使わないで遊びをクリエイトする。そういう親に育てられたから、今があると思っています。

そして、家族全員でよく歌ってました。とにかく普段からみんな歌うんですよ。例えば、買い物に行く道すがら、父が突然歌い出します。

「私はアラバマからルイジアナへ、」と。それで僕がボーっとしてると、「ハレルヤと返せ」と怒られる。やっぱり、反応しないとダメなんです。誰かが歌い出したら続けて歌う、それが増原家のルールでした。

僕はとにかくふざけたことが好きだったので、父の劇団の稽古にもついていきました。さすがに兄は思春期に離脱しましたけど(笑)。

すでに「ゲーテ先生」のための英才教育をされていたようなものですね。というより、井川さんは、僕のその辺りの素性を全部見抜いて「ゲーテ先生」を書いてるんですよ。だから僕にわざと無茶をやらせ、慌てながらも反応する僕を面白がってる。そういう怖い人です。

「自分の人生は、すべて勘違い」

高校の3年間が終わっても、何がしたいのかわかりませんでした。僕の中で、歌は父との遊びで、音楽が仕事になるとは考えてもみなかったのです。ただこれもたまたまですが、父の劇団で沖縄の芝居をやったんですね。手伝っていて、沖縄文化にすごいカルチャーショックを受けました。それで急に大学は沖縄に行こう、と思いました。僕はとても単純なところがあるんです。

琉球大学に進学して、沖縄の祭事や、伝統行事、民謡や踊りなどを研究しました。最終的に、宮古島のマイナーなお祭りの研究をしていたのですが、行き詰ってしまった。「こりゃダメだ」という思いが出てきたんです。 宮古島のおじいの話は、聞きとるのも大変で、名古屋生まれでよそものの自分にはスキルが足りないと感じました。

だったら研究者より、表現者、パフォーマーの側になりたい、と思ったんですね。すぐに歌の勉強を始めました。これも出会いですが、歌がうまいと褒められて、芸大を受験したらと提案されました。

全然考えもしなかったんですけど、1年勉強して芸大に合格しました。

自分の人生は、すべて勘違いでできています(笑)。「いい声だね」と褒められたら、「オペラ歌手になれる」と勘違いするんですよ。勘違いしたとその時は気づかないんですが。とにかくやってみるんです。ダメなら「ただの勘違いだった」とやりなおせばいんですから。

そんなノリで芸大に入ったので、入学直後はなんでこんなとこに入ってしまったんだろうという後悔ばかりでした。ちょっとした鬱でしたね、あの頃は。周りは、みんな英才教育を受けて入ってきた秀才ばかりなんですから。

鬱を打破できたのは、本物の歌を近距離で聞けたのが大きかった。とにかく生で本物をいっぱい見ました。それで、あぁ、すごいなと。やっぱりオペラをやるなら日本にいてはダメだ、オペラが生まれた国へ、つまりイタリアに行かなければダメだと思いました。それでイタリアのパルマに留学することにしました。

「結局、いつでも迷ってるんです」

イタリアに行ってみると、やっぱりイタリア人には敵わないという思いがありました。それで日本に帰国したんですが、日本でオペラを歌うと、やっぱりイタリアのお客さんのような反応にはならないんですね。日本で僕が歌うと「話はよくわからなかったけど、増原さんの歌はよかった」と言ってもらえる。だけどイタリア語がわからないなかで、歌が良かったと言われても。これでいいのだろうかと迷いがありました。自分がイタリアで経験したオペラの反応を、日本では超えられないとわかってしまうんですね。

だったら観客にきちんと伝わるものをやりたい、という思いがあります。そんななかで、たまたま「ゲーテ先生」と出会って、「お客さんはわかりやすいものを求めている」というのを痛切に感じました。

もちろん、あなたは何者ですか、と言われたらオペラ歌手と名乗ります。けれど、オペラしかやらないとはしたくないんですね。実際帰国してから、オペラに拘っていないので、自分も元気でいられるし、色々な人との出会いも得られました。

2016年には映画「ゲーテ診療所〜とうさんのティラミス」(監督・井川啓央 主演・増原英也)を製作。芝居だけでなく映画も作られ、「ゲーテ先生の音楽会」の世界が映像化された。

「ゲーテ先生」をやっていても迷いはありますよ。どうしていいかわからなくなるんですね。ゲーテ先生のところには、毎回、井川さんが演じる色々な悩みを持った患者さんが来ます。だいたい淋しい思いをした患者さんです。先生は何をするでもなく、ふんふんと話を聞く。そして、筋とは関係なく、「さあ、歌いましょう」と言います。患者は抵抗しますが、結局、歌ってしまう。すると患者は治って帰る、と台本に書いてある。

これ、ちっともわかんないですよね。医療行為的なことはちっともしないのに、どうして治ったのか? わからないまま、台本通りやってみると、なんとなく患者が治ったなという感じがあるんですよ。

それはどうしてだろうと思うんだけど、「ゲーテ先生の声が治してるんだ」と、井川さんは言うんです。自分はそういう人間ではありませんが、ゲーテ先生は非常に上品でノーブルな方です。井川さんは「ゲーテ先生の声には品がある。その声の質が患者を治してるんだ」と言うんです。

わかったような?わからないような?です。

思い返せば、僕自身も、自分が辛いとき、淋しいとき、よく歌ってました。歌ったからといって、状況は変わらないけど、歌ってるうちに不思議と状況が好転するという経験があります。

ゲーテ先生は、とにかく歌えばいい。それがわかってからは、あんまり役作りに悩まなくなりました。細かい役作りではなく、とにかく楽しく歌えばいんだと。

ゲーテ先生を演っていると、良くも悪くもお客さんの反応で全然違いますから、素晴らしいと言えるときも言えないときもある。でも良かったときのお客さんは、みなさん良い顔をして帰ってくださっています。そこには手応えは感じています。

この次の段階としては、どうやって「まだゲーテ先生の音楽会を知らないけれど、必要としている人」に知ってもらうかだと思っています。そのためには、僕自身がもっと人に知られなければと思っていますが。僕を知らない人は、なかなかゲーテ先生の世界に入ってきづらいですから。

子供の頃 に好きだった歌を、プロとしてお金を取らなければいけない。もともと歌は、誰かのものではない。みんなで歌えばいんだと父に育てられてきたんですから。自分の歌に値段をつけなければいけない、それが辛いんですね。

結局、いつでも迷っているんですね。

「意味のないことを、もっとやっていい」」

「ゲーテ先生の音楽会」も5年も続きました。途中、マメヒコ宇田川町店の閉店もありました。それでTHE GOETHEというバンドを結成して銀座のライブハウスで演奏してみたり、オリジナルのCDも制作しましたね。その中で「Lala Linlin」というオリジナル曲ができたんです。

やっぱりお客さんに面白がってもらうことが自分にとっては幸せなんですね。僕の表現を観たお客さんの人生が、豊かになったり幸せになったりするのであれば、僕は体を張るし命をかけてやりたいなと思っています。お金のために「ゲーテ先生の音楽会」を演っているわけではないんです。

「Lala Linlin」のPVができたんですよ。「Lala Linlin」は人気です。子供がとくに反応してるようですね。井川さんは、鼻歌になって広まってもらいたいと言ってましたが、僕も歌はちゃんと歌えなくてよいと思っています。

「Lala Linlin」にはオノマトペが沢山出てきますね。宮沢賢治の詩の中にもオノマトペが沢山出てきます。子供が大人と一緒に楽しめるように、ペチャクチャ、ケラケラ、ピッピ・ポッポなど、そういうのがいっぱいある。「ヨッチーニとオノマトペ」テーマに、「ゲーテ先生の音楽会」を演ったことがありました。

井川さんは、みんなで参加できるを意識して、「Lala Linlin」を書いたんだと思います。春のPVのあと、季節で変わってゆくのもいいですし、お年寄りや子供がPVに参加するようになったらいいですね。歌詞の中にある自転車のシーンも撮りたいです。僕が自転車を好きだからですが。

「ゲーテ少女歌劇団」として25歳以下の少女と歌ったり踊ったりする。少女たちは歌も芝居も、上手い下手を問わない。みんなで参加しながら創っていく、その姿勢は隅々まで一貫している。

「ゲーテ先生の音楽会」は、カフェの小上がりでオペラをやろうとか、カフェの店員や常連客が裏方を真面目にやっているとか、バカバカしさと意外性を楽しんでいます。きちんとパッケージ化された作品なんてつまんないという、井川さんそのものですよね。それを創ろうとしています。

それが結果として、「ゲーテ先生の音楽会」の魅力になっています。意味がないことを、もっとやっていい、そういうメッセージがあるから、続いているんだと思います。

これはヨーロッパで聞いた話ですが、今は仕事というとお金を稼ぐことになっていますよね。でも本来の意味は違うらしいのです。お金にならなくても、みんなで何かをやりとげる。すべて仕事だと。例えば猫が逃げ出して、みんなで捕まえようとする。立派な仕事だと。お金をもらえるとか関係ないんだぞって。

「金にならない」ところに面白みが詰まっている。井川さんの考え方ですね。「頭を低くして歩く」ことに面白さがあるのと同じですね。その面白さをどう広めていくのか、いやそういうのは広まらないのか。これはやってみないとわかりませんね。

先のことは考えない。いまをきちんとやれば、結果は自ずとついてくると思っています。