映画とは出会いそのものなのね

カフエ マメヒコが制作してきたマメヒコピクチャーズ。「紫陽花とバタークリーム」、「さよならとマシュマロを」、「ゲーテ診療所〜とうさんのティラミス」。

その三作を一挙に上演する、「マメヒコピクチャーズ タダヒコ映画祭」が銀座SOLAで行われます。

上演にさきがけて、マメヒコピクチャーズとはなんだったのか、そしてこれからの思いを監督の井川啓央さんに聞きました。

映画とは出会いそのものなのね

宇田川町店から白洋舎ビルに向かった通り、いま裏渋とかなんとか呼んでる通りに、八竹亭っていう定食屋があったんだよ。

そこのおやじが、江尻さんていうんだけど、客に対して態度が悪いの。だけど味は良いから。芸能人もよく来てた定食屋だった。そういう店がボクは好きだから、なんとなくその江尻さんと親しくしてたのね。

それがある春の日、2010年の春の雨の日のことだと覚えてるけど。その江尻さんがうちの店に来たのね。

「どうしたの?マメヒコに来るなんて珍しい」ってボクが言ったら。ニカッと笑って。「大家に店と家、追い出された。明日からホームレスやるんだわ、最後にさいならって言いにきたの」って言うのね。

それはだめじゃない、ってボクは言ったのね。立ち入ったことなかったけど、聞けば家族も身を寄せるところもないと。まぁボクがお人好しなんだけど。そうですか、ってその時は知らんぷりできなかったんだね。

八竹亭のご主人だった江尻さん。その後、マメヒコに。

店を始めて一年くらい経ったときだったかな。江尻さんがある日突然、行方不明になったんだよ。もしかして死んでるんじゃないかと思って、会社で借りたアパートに見に行ってももぬけのからなんだよ。まるでドラマみたいにね。

もう店は大騒ぎだよ。辞めるにしたって無責任すぎる。スタッフもカンカンに怒ってんの。でも怒ったところで、どうしようもないとボクは冷めててね。

スタッフの女の子に聞いたら、「そういえば最近江尻さん、コソコソあるお客さんと企み声で話していたわ」なんて言い出したりして。「おい、ニューヨークの和食屋で働かないか。こんなとんかつ屋より給料はずっとはずむぞ」、そんなこと言ってたような言ってなかったような。 

バカバカしいよね。冗談にもならない。

まだ一年しか経ってないから借金もたっぷり残ってるし。そのときの借金はまだ残ってるよ。だけど自分で蒔いた種だからさ。簡単に店を閉めるわけにもいかないわけ。

それでボクがとんかつ屋を引き継ぐことになった。江尻の息子として(笑)。それが映画を撮るきっかけだったんだよ。

かつてあった店は立ち退きにあい、2012年閉店。いまそのあとに、Abematowerが立っている。

「あなたなら映画が撮れそうよ」

 

しばらくとんかつ揚げてたんだよ。

このまま、借金を返し終えるまで、ボクはとんかつを揚げ続けるんだなとその時は思ってた。とんかつ揚げるの、うまかったしね。

 

しばらくしたころ、山田さんて女性のお客さんがとんかつ屋の常連になったんだよ。はなしによると、芸能関係の仕事をされてると。

 

それでそのカウンターでとんかつを揚げながら、そうなった経緯を話すことがあったんだよ。そしたら、「それは面白い。あなたは映画が撮れそうよ」ってなったんだよ。

 

ボクは学生の頃、自主映画を撮ってたことがあったからね。映画なんて撮るには才能が要るし、たとえどんな駄作でも、映画製作は大変でしかないから。無理ですよって言ったんだよ。

 

そもそも、借金返すために、とんかつを揚げ続けなくちゃいけないんだからね。

 

少しおだてられて、ボクもいい気になってたんだろうね。山田さんが、田口トモロヲさん、キムラ緑子さん、内田慈さん、趙珉和さんていう、プロの役者さんの出演の承諾を取ってきて、それでウソみたいな話だけど、映画「紫陽花とバタークリーム」ができたんだよ。

 映画は撮れるるだろうなって思ってたけど、カフェで映画を撮る、それもプロの役者、プロのスタッフにお願いしてだからね、すごいお金がかかる。監督というよりプロデューサーとして大変だったよ。 

紫陽花とバタークリーム 監督 井川啓央 舞台は三軒茶屋店
主演 田口トモロヲ キムラ緑子 内田慈 趙珉和

紫陽花とバタークリーム

「紫陽花とバタークリーム」は、春に別な脚本で撮るはずだったんだけど。スケジュールが決まらなくて。梅雨の時期にロケすることになったの。お金がないから、みんなのスケジュールは、きちきちで組んでる。ロケで雨降ったって、晴れるのを待てないんだよ。

それで梅雨を舞台の台本にして。むしろ雨降ってくれたほうが良いようにした。そしたらカラ梅雨でずるってなったんだけど。 

内田慈さんは、小劇場の舞台で活躍してる役者さんで。声をかけたら、カフェで映画を撮ることにすごく共感してくれて。いろいろと頑張ってくれました。プロとしてやる、お金を稼ぐっていうのは大変なんだよ。それはわかるよ。珈琲を淹れるのと、店を構えて珈琲を入れるのは楽しいだけじゃないから。演劇が好きという少女の想いと、そんなキレイ事じゃないんってイライラしてる、それは純粋なことなんだなってチカちゃんと話してて思ったのね。

それを撮影したいなと作ったんだよ。

やっぱりね映画っていうのは作ってみると楽しんですよ。なんと言っても映画でしか表現できないところがあるからね。何か説明のできない、空気のようなもの、色や質感、表情をすくい取れるから。

映画っていうのは撮影なんだよ。ストーリーじゃないところが、偶然写っててほしんだよ。ボクはそういう映画が好きだし、そういうのが撮りたいのね。

それが「紫陽花とバタークリーム」ではできて嬉しかったんだよ。

このときに音楽を頼んだのが丸山和範さんで、朝ドラの「ちゅらさん」の音楽が良かったから頼んだんだよ。それからの付き合いで、Lala Linlinとかいまも一緒に作ってるんだからね。これも偶然だよね。

梅雨の時期に撮影し、紫陽花の色が物語のモチーフになっている。

もう映画は撮れないかもしれない

映画の劇中小道具。

主役のカフェ店主を引き受けてくれた田口トモロヲさんは、カフェで映画を撮ることに共感してくれたんだよ。というのもトモロヲさん自身が、ミュージシャンでありながら俳優で、さらにナレーターとしても活躍してる。そして映画も撮ってる。

話をしたとき、「映画をいくつか撮ったんです。ほんとは映画をもっと撮りたい。だけど、もう映画は撮れないかもしれない」って言われたんだよ。「だから井川さんがカフェで映画を撮って、それでうまくいくなら、映画に新しい可能性が生まれるかもしれない」、そんな言葉が印象に残ってる。

「是非シリーズでやりましょう。寅さんみたいに47作いきたいですね」なんてボクも調子のいいこと言って。結局それは叶わずで、トモロヲさんは、植物男子ベランダーになっちゃったけど。とても紳士で、協力的で、ボクがいたらなかったという感じ。

 

それでも二作目はトモロヲさんを主役に撮ったの。トモロヲさんの品の良さを写したいなとストーリーを考えて。ちょうど2011年に震災があったり、マメヒコパートⅢが立ち退きにあったり。それをそのままドキュメンタリーのように写したのが二作目の「さよならとマシュマロを」。

トモロヲさんを孤児という設定にして。内田慈さんの事務所だった社長の吉住さんがマメヒコを応援してくれて。同じ事務所の木野花さんでやりましょうよって声をかけてくれて。それでトモロヲさんは孤児、その姉が木野さん、そして「紫陽花〜」以降、マメヒコで働いていた富山えり子で、続編を作ったわけね。 

江尻さんがいなくなっちゃったり、ほかにも大事なスタッフがその頃、パタパタと辞めたり。ほんとね。マメヒコを始めてから人間なんてわけわかんないなって思うんだよ。

家族みたいに付き合ってたスタッフが突然辞めちゃう。そして、それっきりになっちゃうんだよ。死んでしまったみたいね。

それはね、やっぱり傷つくわけ。一生の出会いだと思っていたのに、納得できない、つれない理由でささっと辞めちゃうのって。今見ると、そういう気持ちが映画に出てるよね。

この映画はカフェの宣伝ですか

 

三作目の準備もしながら、いろんな俳優さんの芸能事務所に声をかけたりしたのね。すると、何でカフェが映画を撮ってるんですか、ってそこで止まっちゃうことが多いよ。

マメヒコだけやってればインじゃないのに。それがみんなの意見だよね。そして、「これはマメヒコの宣伝なんでしょう」って聞かれるのね。返答に困っちゃう。映画なんて作ったって宣伝になんかなるわけないじゃない。マメヒコという看板使って、宣伝でもないならなんなんだ。それで「井川さんのお恥ずかしながらの自主制作映画」ですって言うと、みんな納得するんだよね。

 

それからだね。あぁ、自分の名前でやんないと、みんな小さなことでも納得しないんだな、って思ったの。

それがマメヒコから離れて、イカハゲにつながってる。

2014年はいろいろあって。マメヒコパートⅢの立ち退きがあって、いまはそこはAbema towerになってるけど、「さよならとマシュマロを」上映のために宇田川を大改装して映画館のようにしたのもその年。

チケット販売カウンターを作ってみたりね。

ここだけのはなし、映画なんて上映しても誰も見に来ないんだよ。誰も見に来るほどの興味はないわけ。それはわかるよ。自分でも誰かの自主制作映画なんて見に行かないもんね。だから映画は撮るのはできても、採算を取るなんて、端から無理。

宇田川に映画上映ができるカフェを作ったのはいいけど、映画を一年に一度作るなんて、無理なんだよ。

 

それで映画ではなく「ゲーテ先生の音楽会」というコメディ演劇を宇田川町店で始めたら、こっちのほうがお客さんに受けるのね。お客さんもたくさん来て。それで映画からは自然と遠ざかっちゃったんだよ。

 

マメヒコ宇田川町店の舞台。通常のカフェの営業の合間に、「ゲーテ先生の音楽会」は行われた。わずか3人しか上がれない舞台、客席を巻き込んでのドタバタ劇が繰り広げられた。

それでもやっぱりマメヒコピクチャーズは作り続けますと宣言したんだから、せめて三作は作ろうと。

それで人気のあった「ゲーテ先生の音楽会」を映画にしようと思い立ったんだよ。なによりゲーテ先生の増原英也さんが意欲的だからね。このヒトとなら採算が取れなくても映画を創りたいと思ったんだ。

そして、プロの俳優は使わずとも、全二作の反省を生かせば、三作の中で一番の傑作にできると思ったんだよね。作り方を変えればできる。

ちょうどハタケマメヒコも軌道に乗っていたから北海道でロケをして、さらに公園通り店も作ったばっかりだったからそこも舞台にしてね。

なんとなくいろんなタイミングがそのときに重なって、これが映画を作る最後だろうなと思いながら作ったんだよ。

ボクはついてる

マメヒコピクチャーズは撮れないと思うよ。

Lala Linlinのプロモーションビデオとか、そういうものは撮れるけどね。もう映画は撮れない。撮りたくてもね。

うまいことやれないかなと、心の中では思ってるけど。でもそもそも、最初に山田さんがあんな風に動いてくれなかったら、一本も撮れなかったわけだしね。

 

不思議だけど、山田さんは立ち上げだけ参加して、そのあと、ぱたっといなくなっちゃったんだよ。

今回、銀座SOLAさんで映画祭をやらせてもらうんだけど、ほんとはこんなことできるわけないんだよ。

まさか外で上映できるなんて思っても見なかったよ。

だって、ボクの映画を見に来るヒトなんていないんだから。普通に考えれば会場費を払えない。だけどね、「それでもいいですよ」って銀座SOLAさんが言ってくれたんだよ。「どうぞどうぞ、映画に使ってください」って快諾してくれた。

ありがたいと思います。ほんとにね。ボクはついてるんだよね。だから運があればね、また撮ることがあるかもしれないけどね。

ほんとに誰に出会うか。それに尽きるよ。

ボクにとって映画とは出会いそのものなのね。そのときに出会った誰かがそこに写ってる。そしてもうそのヒトはいまはここにいない。

だけど、そのときにこんなことやりたいねと話したことは、違う形で続いているんだ。そのことを、いまは近くにいない、かつての友人、恋人に向けて、今日を生きてる。

その気持ちを思いだすと、映画を創りたいと想ってしまうね。

2016年には映画「ゲーテ診療所〜とうさんのティラミス」(監督・井川啓央 主演・増原英也)を製作。芝居だけでなく映画も作られ、「ゲーテ先生の音楽会」の世界が映像化された。